動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会 (講談社現代新書) |
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私は著者と同年代なので、非常に理解しやすく、知的好奇心を満足させてもらいました。 今の30代中〜後半で、哲学が好き(読むのだ好き)であれば、ボードリヤールやデリダ の著作を苦しみながらも読んだ人が多いと勝手に思っています(私もその一人) そう言った背景があると、割とさくさくと読めます。 但し、いきなり読むと意味不明の部分が多々あるかも知れません。 オタクを本当に理解していない、あるいは著者はオタクではないという意見もあるとは 思いますが、批評家としての著者は必ずしも誰もが認める「そのもの」である必要はない と私は思います。 要素は面白いが、詰めが粗い所が目立つ。 著者が本当にオタク文化を熟知しているのか。 日本社会というものを自身で分析・調査しているのか。 学術的な単語で埋めて、 うやむやにしている気がしてならず 著者の結論や考えの信憑性を疑った。 オナニー文章が点在し、腹立たしくもある。 ただ著者の着眼点には 興味を引きつけられるものが多く 私個人で考えるテーマは与えてくれた。 内容の印象は非常に薄いが、その点では良い本。 より簡便に、動物的に欲望を満足させてくれるような、ファーストフード的作品を消費するオタクと、 そうした土壌のニーズに合わせて作られる「萌え要素の組み合わせ」としての文化について論じた本。 東はこうした、「萌え要素の組み合わせ」によって創造や消費が成り立っている様子を、「データベース的消費」として、ポストモダンに特徴的な傾向だとしているが、しかし、「萌え要素の組み合わせ」によって作品を作るのも、 「萌え要素の組み合わせ」を人が好んで消費するのも、今に始まったことではないと自分は思う。 データベースとか、大きな物語とか小さな物語とかいろいろ言ってるが、どうでもいいなぁという印象が最後まで拭えなかった。 大昔から演劇にせよ絵画にせよ、あらゆる文化はできるだけ人間を「刺激するように」作られてきた。人間を刺激するデザインと、人間を刺激する物語と、人間を刺激するイラストと、人間を刺激する音楽と…。これらすべて「萌え要素の組み合わせ」に過ぎない。 そして、特定の刺激によって反応しやすかったりピンとこなかったり、人によって嗜好(萌え要素)が違うのもまた、今も昔も変わらない。 たしかに現代は、動物的に欲望をあっさりと満足させることができる「便利な社会」で、その意味で動物化していることに異論はない。 しかし、「より動物的に欲望を満足させてくれる商品を好む」傾向は、なにも今に始まったことじゃない。 小さな音から徐々に大きな音へと盛り上げていく音楽。静かなシーンのあとにうるさいシーンを持ってくる映画の演出。これは「対位法」といって、人間をより動物的に刺激するために方法論化された技法に他ならない。こういった方法論化された「技術」を使うこともまた、「萌え要素の組み合わせ」には違いない。 その意味で「動物化するポストモダン」というタイトルにはひとつ誤りがある。 人が動物化しようとするのはなにも現代に始まったことではない。この世に人類が誕生したときから、より簡便に自分の欲望を満たせるよう人は頑張ってきた。今はその簡便に満たせる欲望の範囲が、昔に比べてはるかに広がってきただけだ。そしてそのぶん、「データベース」にある情報(人間の欲望を満足させる技術)の量も膨大な数になってきてるだけ。 だからタイトルは、「動物化したい人類」にでもしたほうがよかったように思う。アイデアが面白いという人もいるけど、アイデア自体はコジェーヴに依拠しているわけで、東のオリジナルの部分というのはこういう表層をなめただけの論理に終始している。 東浩紀自体は嫌いじゃないというか、関心のある書き手の一人だが、この本に限ってはやたらと底の浅さが際立っているため、☆1つ。 200ページに満たない一冊だが、示唆に富んでいる。 コジェーブによれば、近代人は自然の欲求のままに「動物化」するか、自然に抗いスノビッシュに生きるか、という二極化する傾向にあるが、その「動物化」という概念を用いて現代-ポストモダンの日本のオタク(東浩紀はカタカナ表記を用いる)文化を読み解き、かつそこから現代日本の抱える問題を浮き彫りにしようとする一冊。この、「動物化」をキーワードとしてオタクを分析する試みは、簡明で力強く、興味深く読める。 さらに東さんは、オタクの文化消費の特徴(二次創作と「原作」の区別の消失/曖昧化)分析し、「データベース / シミュラークル」というかたちに物語消費の構造自体がポストモダン日本では変化している、というところまで議論を発展させる。つまり、オタクは(ひいてはポストモダン日本人は)、物語の消費そのものではなく、その背後にある膨大なデータベースへのアクセス(情報の書き込みを含む)を欲求し、そこから満足を得る、という議論である。 しかし、オタクというのは「物語消費」に対し平均以上に貪欲で意識的なタイプの人々であり、一般人はあまりそういうタイプの欲求を持たないように思うので、果たして美少女ゲーム、アニメ、やおいマーケットの分析だけを通じてこの手の壮大な物語論に踏み込んでよいのか、という疑問が残る。しかし、これが日本の向かっている方向なのかもしれない。というか、そこにぼくの関心があって、おたくというのは本当に日本人(あるいはポストモダン人)の先鋭・先取的存在なのか、ただの突然変異的存在なのか。そのへんがまだよく分からない。 しかし、あんまり周囲にいないから知らなかったけど、本書を読むと改めてオタクマーケットっていうのは自己完結性と自己増殖性がすごいと思う。 読み終わるまで2008年の新刊だと誤解していました。 社会批評、 特にサブカルチャー系のものは、 すぐに色褪せるものですが、 本書は2001年の初版。 でも全然古くありませn。 なぜなら本書は、 2008年現在の日本人の消費構造の一面を、 見事に捉えているからです。 本書では、オタク文化における消費が、 データベース型に転換したことを指摘していますが、 2008年の現在、 日本社会自体が、 データベース型の消費行動に近づいていることが分かります。 時代を予言している点で、 本書は優れています。 マーケティングやブランディングでは、 未だに「大きな物語」を前提に考えがちですが、 大衆社会はここまできたのかと、 空しい気持ちにもさせられます。 データベース消費、 萌えキャラの作られ方、 動物型社会などの指摘は、 マーケティング関係者にとっては、 消費者の意識を理解する上で、 非常に重要だろうと感じました。 本書は後半になればなるほど難しくなります。 2章の7「スノビズムと虚構の時代」までを中心に読むのが、 よいかもしれません。 動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)を楽天で検索 |