トマスによる福音書 (講談社学術文庫) |
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本書は84年に「福音書のイエス・キリスト」シリーズ第5巻「隠されたイエス-トマスによる福音書」として公刊されものが、その後の研究成果に基づいて翻訳を始め大幅に改訂されたものである。 著者によれば(1)コプト語トマス福音書は2世紀中頃エジプトで成立するが、(2)そのイエス語録の大部分は、それ以前に主としてシリアのユダヤ人キリスト者の間に流布していたものである。(3)これらの語録は共観福音書伝承とは別の伝承系列に連なるが、それよりも古いと断定することはできない。(4)同時に、共観福音書に並行する当福音書の語録が全体として共観福音書(またはそのコプト語訳本文)に依拠していると断定することもできない。(5)当福音書中にヨハネ福音書と部分的に並行する箇所が認められるが、これは当福音書の編集者(「トマス」)の思想が結果としてヨハネに近いためであると考えられる。(6)トマスの思想は明白にグノーシス派に連なる。4福音書に存在しない「知られざるイエスの言葉」の多くは、このグノーシス主義の立場から創作されたと考えられる。(7)従って当福音書所収のイエス語録を、トマス=グノーシス主義の視点で読むか、それ以前の段階=ユダヤ人キリスト者の視点で読むかによって、同一の語録でもその解釈は異なる。(8)「福音書」と名づけられているが、その文学類型は4福音書とは異なり、「語録集」である(pp.3-5)。 日本の新約学の第一人者である著者による注解は、正典との相違についても的確にまとめられており、逆に正典の神学的意図について考察する上でも大変興味深い。日本語によるトマス福音書の翻訳と注解は極めて限られており、その意味でも、初期キリスト教を巡る宗教史的背景に触れる上での本書の役割は極めて大きい。 福音書は「本」であろうか。ビブルはパピルスの輸入港の名であろうから、確かに其れは「本」であろう。旧約は偏狭な種族の掟、新約は異邦人への福音による旧約の救抜。トマスの語録はこれらに対し、少数者の秘儀セクトの先鋭な綱領であろう。頓悟禅のような語録七七が目覚しい。曰く「木を割りなさい。私はそこにいる。石を持ち上げなさい。そうすればあなたがたは、私をそこに見出すであろう。」新約正典も信仰箇条もみな後世の人為である。私たちはちょっと油断すると、それら、後世の範疇で歴史的当代を錯視してしまう。いわば過ぎ去った時間を安楽椅子に座ったまま、背中向きに遡り、当代の出来事と対面した気になっている。然しそれは、過去を「後姿」で眺めているのだ。現代の新旧のキリスト教徒はこの種の「異端の」の外典には構えてしまうであろうし、少数の聖書学者とアマチュア以外で真剣にトマスを読んでいるのは、果たしてどんな人々であろう。私も「宗教」などという無残な近代的範疇からは脱しているが、さりとて、「信仰」の書として向き合うのには所詮セムの地は遠すぎる。本当に遠すぎる。知に健脚がないのだ。結局、「珍しい本」に疑義し逡巡する間抜けなジレッタントという情けなくも必然の身の上となる。仏典だと法華や理趣でももう少し寛いで読めるのだが。鋼のごとき批評精神が生来ないわけだ。編訳者の荒井さんの営為のみは無条件で尊い。学者もこのレベルの人は本当に尊い。 キリスト教研究者としての立場から一言。 ことキリスト教研究だけに限るなら、旧約聖書やパウロ書簡は、参考資料としてはともかく、メインのテキストとはなりえない、と考える。 キリスト教は、あくまで、キリスト教であり、ユダヤ教でもパウロ教でもないからである。パウロの個人的信条なるものが絶対視されるのはおかしい。 しかし、トマスなどの、いわゆる外典福音書の場合には、これらと同列には語りえない。 なぜなら、キリスト教成立期において、なにが取り入れられて、なにが 取り去られたかが判る最重要資料だからである。 べつに、外典福音書を四大福音書と同等にあつかうべきとまでは言わないが、荒井先生ほどの碩学がなんのために訳したのか考えもしない研究者がもし居るとしたら、非常に残念な事である。 エジプトで1945年12月に発見されたナグ・ハマディ文書に含まれ、4世紀中頃にコプト語で写本された『トマスによる福音書』は、その多くが「イエスが言った」という導入句で始まる、グノーシス主義の立場から編まれた114のイエスの語録集で、語録の中には「アグラファ」、つまり「新約聖書に書かれていないイエスの言葉」、「未知のイエスの言葉」も30以上は含まれています。 グノーシス主義とは、現世的・物質的世界を強く否定する「反宇宙的二元論」に最大の特徴があり、人間霊魂の神性の回復、絶対者と自己との神秘的合一を志向した宗教運動であり、これに関しては近年わが国でもその原典の大部分が邦訳で読めるようになりました。本書『トマスによる福音書』もその一つですが、グノーシス主義・新約聖書学の世界的権威である荒井氏によれば、トマス福音書の原本に当るのは、遅くとも2世紀の中頃までには書かれただろう、現存しないシリア語版『トマスによる福音書』で、同書は成立した最初から、グノーシス主義的だったといいます。 グノーシス主義は近年、わが国でも一般に関心が大きくなっていますが、その思想的本質を知るには、本書から読み始めるのも有益だと思いますので、一読を強くお勧めします。 ナグ・ハマディ写本の一部です。 学問的な位置づけはいろいろされているようですが、私はこの語録がもつシンプルな力強さに注目したいです。 四福音書に現れないイエスの言葉も出てきます。そういった言葉を「アグラファ」と呼ぶそうです。たとえば「すべてを知っていて、自己に欠けているものは、すべてのところに欠けている。」こういった言葉があります。このようにすばらしい言葉がいくつも載っています。 トマスによる福音書 (講談社学術文庫)を楽天で検索 |