苦海浄土―わが水俣病 (講談社文庫) |
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この本の前に、水俣病をめぐる社会の動きをつかんでおくほうがいい。岩波新書が 2冊出ているので、それを読めばい。そこで知ったのは、あまりに酷い行政、司法、 のあり方とともに、いまだに、まさに同じく被害を受ける可能性も高かった、であるから こそなのか、行われている、近隣の住民による差別の存在であった。村落共同体を、 この病気が破壊したが、その影響は、とてつもなく大きく、かつての仲間に対する偏見 排除を招来した。私はここで立ち止まってしまった。やはり、村八分というように、共同 体は、外に向かっては差別的に閉じられ、内に向かっては同質性を要求する、葬られる べきものなのか、と。個々人が切り離されている今、共同体的なものを模索する動きがある が、それは誤りなのだろうか。本書は、村落共同体をはじめあらゆる集団(医師、役人 など)の本質を、フィクションでありながらむしろそれゆえに、生々しく炙りだしてお り、読み手がそれは本質ではない、と答えることは難しい。一見水俣を巡るもの達を描いた ノンフィクションのように読めるのだが、そうではなく、優れて文学的な筆者の、逃れられ ない思想、というか位置、姿勢をさらけ出して書いた、無防備な、それゆえ重い作品だ。 筆者の思いに向かって没入して読む、私にはそれしかできなかった。 『苦海浄土』を読んだのは,第1回大宅壮一ノンフィクション受賞作品として「文藝春秋」に一部が載ったときでした。1970年ですからもう40年近くも前のことです。石牟礼さんは受賞を辞退していましたが,雑誌に一部が紹介されたのでした。私は大学に入学したばかりでした。第3章「ゆき女きき書」は,かなりの部分が坂上ゆきの水俣弁で書かれた章ですが,石牟礼さんが聞き取った言葉の迫力は尋常ではありませんでした。私はさっそく本を買い,読みました。庶民の暮らしが,その日々の営みがどれほど貴重なものであるかを、感じました。首相だの大統領だのといった人々とは別に,偉い人々がちゃんと巷にいることに感動しました。悲惨な水俣病を描いてはいますが,美しく幻想的な傑作です。それ以後ずっと,この本は私にとってもっとも大切な本のひとつです。高校生くらいの若い人にぜひ読んで欲しい本です。 被害者がさらに被害者となる。 本当の被害者である水俣病患者たちが、地域住民から同情も集め、差別も受け、会社交渉が遅々として進まぬことを背景として迫害を受ける。 誰が悪いのか。 どうしてこうなってしまうのか。 各人の置かれた立場で物事を考えるとそれはそれですべてが仕方なく感じる。 被害者は言う。 『保障なんかいらない。同じような目にあってみろ。お前たちの家族みんなに水銀を飲ませてやる。同じ立場になってみろ。同じ苦しみを味わえ。』と。 会社の幹部に責任はもちろんある。事後処理にも問題がある。 事件発生後に銀行より派遣されて社長となった江頭氏に対しても強烈な罵倒、怨念をぶつける被害者たち。 その家族への恨みはつまりは雅子様にもつながる。 チッソなしでは地元の生活が成り立たない現実。 会社の安全管理が悪いのは間違いない。 二度とこのような事態がおこらぬようにみなが願い、それでも全国各地で同様の事件が発生する。 人間は歴史に学ぶべきことがたくさんあるが学べない。 歴史は繰り返す。 この本は水俣病の参考文献として常に上位に挙げられるものではあるが、私はこの「苦海浄土」よりも吉田司の「下下戦記」の方が数倍素晴らしいと思った。それは、吉田司の「下下戦記」の方が水俣病の「当事者の声」をよりフェアに記録していると感じたからだ。 この「苦海浄土」はルポタージュ風のフィクションであり、水俣と水俣病を文学化した作品である。作者の基本的な構図として「前近代」と「近代」を対立させることで物語を成立させているが、その構図に拘るあまり「前近代」が美化され「当事者の声」もその文脈でしか記述されていないきらいがあるように思われる。 吉田司の「下下戦記」を読んで分かることは、おそらく「水俣病」の苦しみの半分は「近代=工業排水」による病なのだけれども、もう半分は「前近代=ムラ的」な共同体による徹底的な差別によるものだということだ。この「苦海浄土」では「前近代」と「近代」という文学的構図に拘るあまり、その「前近代」と「近代」の”両方”に痛めつけられた患者たちの苦悩がフェアに描かれていないと思う。 また「苦海浄土」での患者の描かれ方もどことなく文学的な「風景」のようで、「下下戦記」で描かれた登場人物のように「ああこの人は今も元気でやってるんだろうか?」と個人個人に対して読者が思わず心配になるような生き生きとした描かれ方はされていない。 この「苦海浄土」が水俣病運動に対して果たした貢献というのは非常に大きいものだろうし、その点では重要な本ではあると思う。しかし、私にはこの本は「文学的すぎる」ように感じたし「被害者の声」のリアルさ(当事者性)もあまり感じなかった。私は、この本よりも吉田司の「下下戦記」の方が「水俣病」のルポタージュとして数倍素晴らしいと思うし、興味のある読者には「下下戦記」も是非読んでみてほしいと思う。 チッソが海に流した有機水銀に体を蝕まれ、破壊され、命を奪われたものたちの声を石牟礼道子さんが言葉に刻んでいます。患者となってしまった漁民たちが発する言葉は、生命を軽視し利益を優先する企業倫理に身を染め、かつて持っていたはずの心の世界ー命への底抜けの優しさと信頼ーを失ってしまった日本人の心をえぐります。この本に詰まっている言葉に何度も触れて、失ってしまったものを取り戻したい。たとえ、激痛に襲われたとしてもー 苦海浄土―わが水俣病 (講談社文庫)を楽天で検索 |