広田弘毅―「悲劇の宰相」の実像 (中公新書 1951) |
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本書は一般に、城山三郎『落日燃ゆ』で同情的に描かれた広田像に疑問を呈するものだが、玄洋社とのかかわりのほかは、特段新事実が発掘されたわけではない。第一に私は、『落日燃ゆ』の広田像からさほどの同情をかきたてられてはいない。なぜなら同書で広田は、天皇に責任が及ばないように証言を拒否したと書かれているからである。それに、十五年戦争期の実相は、天皇ですら軍部に抵抗し得なかったというのが事実であって、広田がもし軍部に抵抗したら暗殺されていただけだろうし、仮に天皇が軍部に徹底的に抵抗したらやはり殺されていただろう情勢であって、文官の不作為責任などを問うても意味はない。本書が現れたことの意義は認めるけれども。 対米開戦は、天皇以下当時の日本の指導者の誰一人本心では望んでいなかったと言われている。東条英機ですら、対米開戦の前夜「陛下に申し訳ない」と号泣したという。東條英機と天皇の時代 (ちくま文庫) 指導者層が望んでいなかったにもかかわらず戦前の日本が破滅的な決断に追い込まれていくプロセスについて、丸山真男は「既成事実への屈服」を指摘したし、山本七平は「空気の支配」と呼んだ。省庁が割拠し権力の中心を欠く大日本帝国の統治構造が、シビリアン・コントロールの機能を徹底的に欠いていたため、既成事実への屈服が起こったし、折から勃興したマスメディアが煽る「草の根の軍国主義」に抵抗することができなかったのである。 本書で描写されている広田弘毅の首相・外相としての事績は、残念ながら「既成事実」と「空気の支配」への屈服にほかならない。統治のシステムが内在的な欠陥によって暴走を始めたとき、その暴走をとどめなければならない立場にいたにもかかわらず、広田はそれに失敗した。為政者としての結果責任は逃れられないところである。 しかし、日中戦争から対米開戦に至る経過が「統治システムの暴走」であったとするならば、それを止めるためにはシステムを根底から改変する必要がある。それはほとんど「革命」に等しい。織田信長か西郷隆盛クラスの「非常人」でなければなし得ないことである。広田は大日本帝国のエリートとして養成された外務官僚であり、どこまでも「常人」でしかなかった。「非常の人」が必要とされる「国家存亡のとき」に常人でしかない広田をリーダーとせざせるを得なかったところが帝国憲法体制の限界を象徴している。 公人としての広田は批判されねばならない。しかし冷徹な記述に徹してきた著者が「書かずにはいられなかった」広田の家族との別れのシーンは、涙なしに読むことができなかった。「常人宰相」は家庭にあっては良き父であったのだ。あえて財閥との縁談を蹴って郷党の子女と結婚したエピソードを含め、「常人宰相」広田弘毅は個人としては敬愛に値する。 私たち日本人の歴史認識は確かな歴史研究の蓄積の上にではなく、歴史小説などによって形成されてしまっていることがしばしばある。司馬史観はまさにその典型的事例だが、このような傾向は問題ではないかと個人的に考えていた。本書の問題意識はまさにそのような評者の個人的な危惧に共通するものがある。一般に広田弘毅のイメージは城山三郎の名著『落日燃ゆ』によってつくられ、その「悲劇の宰相」像が広田への同情論となり、さらには東京裁判批判へと展開していく傾向がある。フィクションではないにせよきちんとした史料も押さえずに書かれた歴史小説によって形成された広田像が普及している。本書は、そのような傾向を危惧する著者による真の広田弘毅像を提示する試みである。 理知的な外交官であると同時に右翼玄洋社のメンバーでもあり、対欧米協調主義とアジア主義の両面を兼ね備えていた広田。「日中提携」を掲げ、日満支地域秩序構想を模索するものの、その平和主義は軍部に抵抗する気概に欠け、近衛政権期には「先手論」に乗っかり、大衆の熱狂的世論をそのまま外交につなげるようなポピュリズム政治を展開する。軍部の圧力にいとも簡単に屈し、外交の一元化の努力を怠り、時には軍部の力を背景に軍部以上に対中強硬外交に打って出た広田外交。東京裁判における死刑判決が適切であったかどうかは別としても安易に同情論と東京裁判批判に走る前に冷静に広田外交を見据えようとする本書は、単に陸軍だけが悪玉であったわけではないことを再確認させてくれる。 本書の内容については、先行するレビューで十分語られていると思うので、本書の形式についてレビューしたい。ます、人名や地名にルビが振ってあるのが素晴しい。大体、こういった近・現代歴史著作の場合、著作者の知ったかぶり(敢えてこう言いたいが)で、人名にルビがなく、読者の意欲を殺いだり、一瞬思考が中断したりすることが多い。私は1949年生まれで全然若くはないが、それでもその不親切さに常々腹を立てていた。しかも、移動時間などの気軽な!読書を意識した「新書」や「文庫」でこうなのだから、若者が本を読まなくなるのも当然ではないだろか?広田や吉田にルビを触れとは、言ってません、念のため。 もう一つ、歴代の首相や外相を文章でくだくだと説明せず、38頁に一覧表の形でタイムリー?に挿入されているのも、読者の脳に負担をかけたくないたいという意志が現れていて、大変好ましいと思うがどうだろうか?著者は1968年生まれという、比較的若い世代であるが、このような歴史家が出てきたということは、まだまだ日本人も捨てたものではないのでは?以上、褒め過ぎかも知れませんが、何々たり続ける、とか混沌にわざわざカオスとルビを振ったりするような、汚い日本語を書き散らすもう少し古い世代(私も含む)は退場の時期ではないでしょうか? 昭和史を読み解く良質の教養書として推奨できる。広田弘毅については、本書にも言及がある通り、城山三郎氏のベストセラー『落日燃ゆ』が描く「悲劇の文民宰相」、「一切の自己弁護を放棄して従容と死に赴いた廉潔の人」というイメージが定着している。このイメージに対する反証を丹念に渉猟した著作が本書である。広田弘毅に限らず、登場人物を英雄として偶像化するのは城山氏の歴史小説が持つ共通点である。作家としての力量を認めるのは吝かでないが、氏の著作が所詮フィクション以上の意味を持ち得ない弱点である。学生時代には城山氏の著作に感銘を受けても、社会人としての経験を積むと城山小説の魅力が急速に色褪せるのも、小説が捨象ないしは等閑視したであろう人間の弱さ、利己心や功名心etc.が登場人物の行動をも強く支配していたはずだという現実に気付くからであろう。傲慢不遜な軍部の暴走を許し、幾百万の日本人を死に追いやった犯罪について、近衛文麿と広田の二人の文民宰相は明らかに有責である。東京裁判において広田氏が自己の利益のために弁ずることが少なかったのは、本書のように法廷戦術であったとの解釈も可能だろうが、天皇以外には一切の説明責任を負わないという頑なな信念によるものだと理解すべきである。高級軍人・文官が共有したこの信念こそ空前の悲劇をもたらした根本原因である。このような人物を英雄視することは、ついに家族に合間見えることなく孤立無援の戦場において無念の死を遂げた幾多の将兵、戦争末期の空襲・原爆による無残な犠牲者等々に対する冒涜でなくて何であろう。 広田弘毅―「悲劇の宰相」の実像 (中公新書 1951)を楽天で検索 |