新釈落語咄 (中公文庫) |
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1995年に出た単行本の文庫化。 もともと『中央公論』に連載されたもの。合計20回が、本書に収められている(続きは『新釈落語咄 その二』に)。 「粗忽長屋」「欠伸指南」「だくだく」「化物使い」などの落語を取り上げ、内容を紹介しつつ、世相に切り込んでいくというエッセイ。 堅い雑誌に書かれたものだからかは分からないが、社会的なメッセージ性が非常に色濃く出ている。まあ、本人の性格というか主張というのもあるだろうけど。しかし、正直に言ってあまり同意させられるようなものではない。底が浅く、偏っているような。的はずれな社会批判も少なくないし。 語り口は楽しいので、楽しく読めるのは間違いない。しかし、どうかなあ。 古典落語をとことん研究し、それを自らの芸として極め、他方、「人間の業」の肯定が落語の本質と喝破した師匠の解説ですから、文句のつけようがありません。 しかし、他方で、私は、師匠、家元は、古典落語と言う芸が、現代社会でどう位置づけられるか、将来にわたって継承できるのか、日ごろから悩まれているのを、高座でもお聞きしましたし、様々な対談などでも聞きました。もちろん多くの著作にもそういうことが描かれています。 ただ、ここ数年、ご病気のこともあってか、あるいは、古今亭志ん朝師匠の急死とか、落語会への危機感であせっているように感じてなりません。 そういうお気持ちが、行間に現れているので、やや切なく感じました。 大丈夫、家元は死んでも生き返ります。「頭をよくつぶしたか?」と言われるお方です。あせらなくても大丈夫。 余裕綽々の芸談をお書き下さい。 この本は私が落語を好きになるきっかけとなった本です。 それ以来、色々な落語の本を読んできましたがやはり談志師匠のこの本が私にとっては一番です。談志師匠の凄いところは古典落語のネタをただそのまま演じるだけでなく、更に自分でとことん考えぬき、人間の本質を追究していこうとする真摯な姿勢です。 また、この本の巻末の解説は談志師匠を神様のようにあがめる爆笑問題の太田さんが書いていますがこれも面白いです。普段、テレビでは見られない恐縮しきった腰の低い太田さんの意外な一面が見られます。 私たちは常識や知識に基づいてあらゆる人間関係を処理している時代に生きている。 会社しかり、大学しかり、下手をすれば私人関係までも。 そしてこのようなことは、人々に多大な負荷をかけ、 ほころびが見え隠れする。 こういったほころびを解消する手助けをする家業がある。 それが、落語家だ。 立川談志は言う。 「落語家とは、知性とか、常識で世の中処理しているつもりでも、 談志によって語られる落語演目、例えば「粗忽長屋」 と言われ納得してしまう。 単なる馬鹿話だと思った人、それは違う。 私は「かくがくしかじか、こういうもんです」なんていったって、 けど、これが人間なんだ。人間なんて自分で思っているほど強くない。 しかし、だからこそ強くもある。 古典落語は同じ題材を受け継ぎ、受け継ぎやっていきます。ところが例えば同じ『黄金餅』という話しであっても、5代目古今亭志ん生でよれば皮肉のこもった笑い話しであっても、三遊亭円生でよれば怪談めいた暗い話になるという具合に全く異なってきてしまうものなのです。このようにこの本の取り上げる古典落語は創造性に富むテーマです。立川談志は同年代では3代目古今亭志ん朝と並ぶホープ、天才といわれた人です。その人が、彼の得意とする演題をこういった話だという形で解説する本がこれです。噺家が話したことをそのままに書き下ろした本はたくさんありますが、噺家自身がこんな話だと表現してながら解説している本はなかなか無かったです。たとえ全面的に談志師匠の解釈に賛成できなくても、一つ演題を互いに対話できる、そんな切っ掛けになるいい本です。何を隠そうこの落語好きの私としては、この本を切っ掛けで音の落語を聞いてもらって、またこの本での古典の題材の評価を顧みていただければ面白味があっていいのではないのかと思っているのです。ちょうどこの本が文庫になっていて手ごろになっているので是非に手に入れて下さいという気持ちで推薦します。古典落語の入門書として最的ですのでいいかと思います。 新釈落語咄 (中公文庫)を楽天で検索 |