磯崎新の「都庁」―戦後日本最大のコンペ |
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モダン丹下VSポストモダン磯崎。新都庁のコンペにスポットを当てることで、建築コンセプトも仕事の進め方もまるで対極にある子弟の人物像がクリアに浮かび上がり、読み物として、とても面白かった。やっぱ、建築物って時代とリンクしてて、同じ丹下作品でも、東京オリンピックの代々木第一体育館なんかはすげえなと思うけど、都庁はやっぱ醜悪に思えるんだよね。“丹下の十八番は「軸」”ってのが出てくるけど、軸を引けるかどうかってのは「権力」ってことだからね。自分が描いた絵を現実化するためにはもちろん政治力も必要であって。歴史に残っていく建築物って権力の象徴だからなぁ。はっきり言ってしまうと、丹下健三の作品のほうが、磯崎新の作品より、圧倒的で、わかりやすくて、すべてがシンボリックだと思うんだよね。物語としては絶対こっちのほうが面白い。でも、そんな時代は過去も過去であってさ。少なくとも新都庁の頃ってもう丹下の時代じゃない。建築って、構想時と完成時のタイムラグってのもひとつの罪だよね。それでも「ぶっちぎりで勝とう!ぶっちぎりで勝とう!」っていう丹下の人間味は面白いなぁ、直接、接点とかあったらまた別なんだろうけど。一方で、アンチで混沌でアナーキーで懐疑でシステムで環境で...っていう磯崎新のスタンスのほうに、やっぱどっちかっていうとシンパシーは感じるよな。頭が悪いんで、作品のわかんなさがわかんないっていうか、建築自体は丹下作品みたいには素人評価出来ないんですが。まぁ建築作品を文学的に捉える感性が僕にはないってことで。ただ、磯崎新も「丹下あっての...」って部分はあるよね。テーゼに対するアンチテーゼってのは、それ自体わかりやすい物語であって。モダンをリアルタイムで知らずにポストモダンから入らざるを得ない世代ってのはキツイんだよね。あるいはモダンとポストモダンが生まれた時から並列ってのはさ。 磯崎新の若き日(それは知られざる小学生時代まで遡るだろう)から現在に至るまでの彼を巡る<事件>を、縦横無尽に生き生きと描写する。本書の登場人物は、磯崎の師匠の丹下健三の師匠の前川國男の師匠のコルビュジエに留まらず、建築界を遥かに超えたところにリンクする彼の豊かな人脈の一端が明かされる。磯崎によって起こされる<事件>には誰も無縁ではいられない。それほど磯崎流事件簿は、その影響力と魅力とによって建築界を賑わし続けていることを、遊び心豊かな描写で明かす。 丹下健三は鈴木都知事との関係も深く、都庁コンペは国内の指名制、審査員もかつて丹下が発案した委員会の委員が占め、審査プロセスも非公開。「丹下の都庁」のための条件は揃い、「ぶっちぎりで勝とう」と宣言した丹下。 100m以上の建築実績がなく圧倒的に不利ながら、磯崎は超高層を求める都に対して低層のプランでコンペに挑む。 師弟の対決というよりも、都庁をめぐる師弟のすれ違いを本書は描く。都庁よりはるか以前から、丹下は磯崎とは大きく別の道を歩んでいた。生理として権力に寄り添う丹下と本来的にアナーキーな磯崎は、師弟でありながら対極の存在でもある。都庁コンペではその両極を白日のもとに晒したという意味で、一つの戦後日本建築史の転回点だったといえる。 2人の超えがたい距離と、各々の深い孤独は、青木淳らその渦中にいた人間でも量りかねる厳しさを湛えている。和田誠のノスタルジックで温かい装丁は、この師弟の激しく強烈なすれ違いのドラマを、「師弟のいいお話」に取り違えてはいないか。 コンペとは、建築家の決闘だ。策をめぐらせ、敵を牽制し、根回しもし、知力の限りを尽くしてライバルの案をつきおとす。……それが、丹下健三の闘い方。一方、不肖の元弟子・磯崎は、むしろ天衣無縫に、自分が過去に影響を受けてきた古今東西の名建築や、アバンギャルド芸術、村上春樹や荒俣宏までも総動員して、自分だけの「シティ・ホール」の形をつくりあげていく。エレベーターが60台もいるような巨大な建物を、頭の中だけで建ててしまう建築家の想像力ってすごい。そして、そうした理想はたとえ実現しなくても、確実に人々の心の中に残る。磯崎の案は、思いがけない形で、師匠・丹下健三の作品の中にあらわれることになるのだ。皮肉のきいたラストがいい。 磯崎新の「都庁」―戦後日本最大のコンペを楽天で検索 |