最後の瞬間のすごく大きな変化 (文春文庫) |
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それぞれの話は、細部が濃密に描かれた、でも構成はシンプルな絵のようです。 あらすじだけ書き出せば、例えば「公園で子連れの母親たちが話をしている」とか「親を見舞いに行った」だけですんでしまいます。 でも個人的には、すごく好きです。 噛むほどに味の出てくるスルメとでも評したらいいでしょうか・・。 例えば道で誰かに会って、短い時間立ち話をしただけでも、その間に気持ちというのは細かに揺れ動くものです。 その、ちょっとした心の動きを丁寧にすくい上げ、苦味のスパイスを振りかけて、読み手の前に黙々と並べていったら、こういう本になるのでしょう。 簡単にできそうで、しっかりと年を重ねた者にしかできない芸だと思います。 従って、だれかれ構わず「面白いよ」と薦めたい本かというと、そうでもないです。 読者を選ぶ本だと思います。 でも、もし選ばれてしまったら、間違いなくハマる事は保証します。 冒頭の「図書館」で元の夫にでくわす話と友人を病気で亡くす話が好きです。ものすごく共感を覚えました。病気で本当に死にかけて「生きたい」と願う友人と精神的に死にかけている自分。ものすごい短い物語だけれど、確実に私たちの心を掴んで離しません。ろくでもない人生、でもそんな人生を愛している人のための物語といえます。 読みづらいかというと、べつに読みづらいというわけでもない。分かりづらいかと訊かれると、そうでもないとしか言いようがない。 ではストーリーテリングに手が込んでいるのかと訊かれれば、べつに手が込んでいるわけでもない、としか言いようがない。起承転結とかクライマックスとか、そういう手順とは別のルールでできあがっている、と思う。劇的効果なんか、あまりない。 生きているひとが、たぶんみんな日常に感じているズレ感覚や、人生にたいする違和感。そんな苦い人生の味。グレイス・ペイリーはそういうところから物語を起こしていて、やっかいな人生の味わいそのものを、うまく表現して見せてくれる。 人生は、いくら考えてみても、答えの出ないことばかり。そんな理不尽で残酷な部分を、錯綜した状態のまま、しかし鮮明な切り口から見せてくれる。そういう作家はほかにもいるけど、この「冴えた苦み」のような味わいは、ほかにはないと思う。 そういう意味でリアルな小説。たぶん誰にとっても重要なものになりうる物語。 「そうそう、こういうのが読んでみたかったよね」と言えるまでに、わたしの場合は数年かかった。最初の単行本はろくに読まずに捨ててしまった。この文庫本でやっと焦点があってきた。いまはっきり言えるのは、この苦み、えぐみは、ちゃんと滋養や旨味を含んでいるということ。 それに、これは、なんというか、子どもには読めないんじゃないの? 生きることの、いちばん困った部分でイヤというほど悩んだとか、そういう経験を乗り越えたひとが、ああなるほどね、と思うような話ばかりなので。 たった3冊の短編集でアメリカ文壇のカリスマとなったスーパーおばあちゃん、グレイス・ペイリー。彼女の小説の世界はリアリズムに徹していながらどこか漂うようなつかみ所のなさがある。それは主人公の眼を通して、と同時に、世界が俯瞰的に見えてしまうから。風景描写が細かいというわけでは決してないのに、なぜか描かれる世界の人物像から小物のひとつひとつまで恐ろしく正確に見えてくる。不思議で素敵な短編集。訳も原文に忠実ゆえに、男性の文章とは思えない。 学生時代、飲み屋でつまみとして初めてピスタチオを食べたとき、殻をむいてから食べる・・・ということを知らなくて、そのまま齧りついて歯が欠けそうになった恥ずかしい経験があるのですが、ペイリーさんの文章はその硬さを思い出させます。その癖のある文章は生半可な読み方をしているようでは太刀打ちできない。いったい何を言いたいのかよくわからなくて途方に暮れることにもなる。実は1999年に刊行された単行本を読んでいて、近刊の「人生のちょっとした煩い」(文藝春秋)を読了したあとに、文庫化された本書を改めて読んでみたのですが、村上春樹があとがきで記しているように、何度か読み返さないとペイリーさんの持っている「味」はわからなさそうです。再読してみて、口の中に入れたピスタチオはまた殻が付いていることに気がつきました。 最後の瞬間のすごく大きな変化 (文春文庫)を楽天で検索 |