〈宗教化〉する現代思想 (光文社新書 356)

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売れ筋ランキング〈宗教化〉する現代思想 (光文社新書 356)  
〈宗教化〉する現代思想 (光文社新書 356)

〈宗教化〉する現代思想 (光文社新書 356)


価格:¥ 882(税込)
光文社  (2008-06-17)
/仲正昌樹/
新書 280ページ
売れ筋ランキング:9833
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昨今の、政治思想的に右や左の人たちの言説が、まるで偏狭な宗教の教義に則っているかのように見えることを指摘した上で、

そもそも、体系的で包括的な「思想・哲学」というものが、いかに「擬似宗教」となっていくのかを、現代思想に大きく影響を与えているハイデガー、ハンナ・アーレント、デリダなどの言説を使って、明らかにしていく。

偉大な哲学者・思想家たちが形而上学にハマってしまっていることを指摘するが、「形而上学から、抜け出そう」とは書かない。「形而上学から抜け出せると思いこむこと自体が、形而上学的な話だ」という。

著者は、デリダの「マルクスの亡霊たち」を参照して、哲学したいなら「自らの形而上学に自覚的であるべき」だとする。はじめっから、自分の信仰に基づいた話に「信憑性」や「権威」を持たせるために、「思想・哲学」を使うのは本末転倒であり、「思考過程」こそが、哲学にとっては大事だと説く。

いろいろな思想・哲学を参照して、“自由”に考えた結果、最終的にたとえば左翼の言説とかぶってしまっても、「自分は○○という形而上学に依拠した考えを持っている」と反省的になれるかが、肝心だという。それが、哲学的な振る舞いの上で、重要なのでしょう。

本書のあちこちで「信仰」のデメリットとして、「自分の信仰体系や世界認識が他人に受け入れられないと、その他人を暴力的に排除しようとする」ことを述べている。だからこそ、著者は「擬似宗教」になってしまうことに批判的になっていると思われる。

そうした狭量なありかたにならないための方法として、「哲学的になる」という戦略があるのだ、ということを本書から学びました。また、現代思想の知識も得られて、一挙両得です。
 「よく言ってくれた」という部分もかなりありました。特に左翼系論客の得意とする「虚偽意識論」「イデオロギー批判」が実質的にカルト的な陰謀史観に等しいものになっている、という指摘はわが意を得たり、という感じです。またさまざまな「弱者」とされる人たちに「選民」を見いだし、体制変革の希望を託そうとする思想の欺瞞の指摘もなかなか示唆的。全体として、現代思想の多くが「宗教化」している、というわけです。

 こうなると、現代思想のなかでも最大の教祖となっているフーコーやデリダと、その信者たちにはどんな批判を入れてくれるのか、と期待するものです。ところがこの二人のことはろくに批判すらせず、むしろ自分の議論の拠り所としてほとんど全肯定している様子。
これには正直言ってあきれました。フーコーの思想はともすればあらゆる人と人との関係に権力作用を読み込もうとする一種の形而上学的思考に繋がりやすいし、現にそういうフーコー信者はしばしば見かけます。デリダにしてもあらゆる価値づけを「暴力的な二項対立思考」として断罪し、建設的な思想をことごとく排斥するような「形而上学化された脱構築」に陥る危険は相当なものです。彼ら自身の真意はどうあれ、彼らの思想も形而上学化・宗教化しやすい面を持っているのに、これを問題視しないのかは何事か、と思います。

 著者は自分の形而上学的な思考に無自覚であることの危険性を常々告発していますが、自身の形而上学的な立場についてはどこまで自覚的なのか。突き放して見れば明らかに「形而上学化されたシニシズム」に憑かれているように思われます。「自分が特定の形而上学に取り憑かれているかもしれないという疑念を抱かない擬似宗教的な形而上学者は、哲学的には最もたちが悪い」(269頁)というのは、そっくり著者にもあてはまるように見えます。同じ穴の狢ではないでしょうか。

すごくざっくり言うと、ギリシアにおいて真理の探究として始まった哲学は、近代西欧において人間の本質として「理性」をその学究の中心テーマとして見出すが、ポストモダン思想は、そのような<”理性のより真なる現れ”を追求し続ける弁証法的な発想こそ、価値観の異なる他者に対して「真理」を押し付け、順応させようとする「理性の暴力」の発露だ>(p.187)と考えた。

ここでの「価値観の異なる他者」とは、例えば、女性であり、レヴィ=ストロースの発見した「野生の思考」の持ち主であり、サイードの『オリエンタリズム』が描き出した、相対的な「弱者」であった。しかし、ポストモダン(を担いで騒いでいた人たち)は今度は「弱者探し」の暴走を始める。

<・・・西欧的で近代的な人間観とは反対のところに”真の人間らしさ”があるかのように、「弱者探し」ゲームに夢中になるポストモダン左派的な議論にはまると、かえって形而上学的な話になってしまう。「理性」に代わって、情念、慣習、伝統、共同体感覚、象徴的記号などを”中心的な原理”にしようとする新保守主義的な議論についても、同じことが言える。>(p.191)

ということで、あらゆるところに「原理主義」に向かう傾向が人間にあるということが書かれている一冊。「『弱者探し』ゲーム」という言い回しはどきっとするね。確かにその通り。最近は地球を弱者にするのが流行ですね。あとは鯨とか。鯨で思い出したが、北京オリンピック期間中は周辺の犬を食べさせる店は犬を出しちゃいけないんだって。<非倫理的>に映るんでしょう。個人的には全く犬を食べる気にはならないが。。。その犬食反対のみなさんは、インド人にさ、牛を食べるな、って言われたらどうするんだろうな。
政治的にサヨクでもウヨクでもない人、また、どの特定宗教にも属していない人、棄教や転向体験も無い人には、肩に力が入った本書の言い方には、馴染めないところがあります。しかし読みおえると、形而上学(宗教)への抵抗、思想の擬似宗教化への危惧、結論を絶対視する考えに反対する著者の立場が、良く判ります。西洋の核をなしてきた幾つかの思想を、前世紀の何人かの思想家に従って解剖。それらが、比喩的な形象を使って、形而上的な事柄を思考してきた伝統を批判的に分かりやすく紹介しています。

○思想のトピック概念の内包を、自分の日本語の言葉で、読みほぐしています。通常の解説よりも、思想を読む位置が、対象に近いようです。新鮮な感じがあります。○思想を紹介する際に、自分の立ち位置を明示し、他の批判に予め備える姿勢があります。紹介の眼差しが、思想の中味だけでなく、広い視野に向けられています。違う立場から読む人にも、判りやすくなっています。○思索の方向は、正当で伝統的です。今まで思索しつづけきた結果を公にしても、それは思索過程の1里塚であり、不完全な根拠しか持たない。絶対的だと信ずるべきではない。しかし逆に、全てが相対的だと絶対視はせずに、あくまで根拠を求めて窮め続ける。生きる上で拠らざるおえない形而上的事柄への判断は、それが無根拠だと自覚して、自分の形而上学的な前提を明確にして、生きることが大事のようです。こう見ると、西洋哲学を貫く原初からの大きな流れの中に、著者は確かにいるようです。


まずその分かりやすい語り口だけで、称賛に値すると思います。とかく、「入門書」と言われても十分分かりにくいこの業界において、ここまで分かりやすく噛み砕いてみせたことだけで、意味があることでしょう。しかも、単なる思想・哲学マップというわけではなく、著者の切り口で首尾一貫して整理しているということに、価値があります。
多くの思想・哲学「業界人」の方々からは、その分かりやすさが鼻につき、「結局タダの相対主義じゃないか」と批判を浴びることかもしれませんが、十分に説得力ある論考になっていると思います。

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