郊外の社会学―現代を生きる形 (ちくま新書 649) |
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著者は、これまで郊外について言われてきた言説を大きく2つにわけます。まずは社会学者達による、伝統やコミュニティの不在の指摘。つぎに建築家達による、オリジナルで優れたデザインの不在の指摘。 こうして大きく2つの視点から批判される郊外ですが、著者は自らが郊外地居住者であるという視点から、郊外で生きることこそが現代人の生きる条件なのだと議論します。そして、たとえ浅くても、そうした郊外で積み重ねられてきた記憶を辿っていこうではないか、というのが全体のテーマです。 あとは、優秀な著者のことですので、時折引っ張ってくる文化論や統計データも説得的で、勉強にもなります。「生きることの条件としての郊外」論の視点が、一通り身につくと思います。 無理矢理「動ポス」的に読むとすれば、都市を「郊外」からポストモダン的に定点観測した著書といえるかもしれない。 地方出身者の「都会的な生活」への憧れと、都市出身者の「都市には無い理想的な生活」への憧れを一手に背負い込んだ「郊外」。さらにそこには核家族という新しい家族像への期待も混じり、郊外は一つの「大きな物語」としての機能を持つようになった。 しかし、1980年代以降「郊外」が一般化するに従い、そうした理想は物語としての機能を失う。ニュータウンの建築様式が画一的なモダニズムから、装飾をほどこしたポストモダニズム的になっていったのもこの頃からだった。それはどこかで見たような「地中海風」とか「イタリア風」と言った記号を消費する、データベース的建築様式である。そして人々の行動様式もまた、一つの価値観を共有しようという「共同体志向」から、単に住む場所を偶然にも共有するだけの「共異体志向」へと変化している。 通底する筆者の方向性を汲み取れば非常に示唆的であり、面白い。新書だが、時間をかけて読み込む必要がある。 都市社会学の第一人者による郊外論。 郊外は都市の存在を前提とした自立的でない空間であり、だからこそ住人にも場所にも必然性がなく、その記憶は忘却される と主張している。 それ自体は良いのだが、せっかく第一人者なら、マトリクスを用いるなどしてもっと明解で論理的な考察を加えてほしかった。例えば、郊外が都市を前提とした空間なら、郊外だけでなく都市空間との属性ごとの比較があればよりわかりやすいし、また東京の郊外をカテゴリー化して分類するくらいの意気込みがほしかった。 郊外の社会学―現代を生きる形 (ちくま新書 649)を楽天で検索 |