環境リスク学―不安の海の羅針盤

環境リスク学―不安の海の羅針盤

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環境リスク学―不安の海の羅針盤

環境リスク学―不安の海の羅針盤


価格:¥ 1,890(税込)
日本評論社  (2004-09)
/中西 準子/
単行本 251ページ
売れ筋ランキング:49183
水の環境戦略 (岩波新書)
環境リスク論―技術論からみた政策提言
演習環境リスクを計算する
環境リスクと合理的意思決定―市民参加の哲学
環境リスク解析入門 化学物質編

有名ブログの池田信夫blogのコメント覧で取り上げられていたので、手に取った。
が、もちろん環境問題の専門領域の本なので文系には難しい。
本書内容については、他のレビュアーの方の記事をご参照いただきたい。
ただ、いまちまたをにぎわす温暖化問題が、実は根拠なく疑わしいとの説もある今、著書のような考え方に触れるのは大切と思う。
知らなかったなあ、こんな人がいるなんて。不勉強だった。本書は退官記念講演の内容や、あちらこちらに書いたもののまとまりで、構成は雑駁であるが、そのおかげで読みやすい読物になっている。彼女が昔取り組んだ下水道問題から、最近のダイオキシン、環境ホルモン、BSE、遺伝子組換え、電磁波、など、生きて行く上でのリスクをどう考えるかが明快に、しかも細かいところまで配慮しながら、書かれている。要約してしまえば、世の中すべてはリスクのバランスなので、あるリスクだけを100%避けることは得策ではなく、それぞれのリスクに配慮して、トータルとしてリスクが最小になるように、行動しましょうということなのだが、それぞれの事例できちんとしたデータが示されているので、大変説得力がある。彼女は初め下水道問題を扱った時は官僚や学会から弾圧されて、後に、ダイオキシンや環境ホルモンのリスク評価をした時には、市民運動家から糾弾された。全体を理解してきちんと評価するとそうなるのだろう。その両側の人々が彼女の研究を理解して、利用するようにならないものだろうか。特に、メディアの人々には、少なくともこの本ぐらいは読んでほしい。
まずは,我々の常識を変えなければならない.
我々の常識はTVや新聞などのマスコミから流れ込んでくるものだが,その関係者はほとんど科学的知識がないことをこの本を読んで思い出した.

もちろん,大学や各種研究機関の学者もかなり怪しいものだし,政治家・各省のお役人となれば,お寒いかぎりだ.

いろいろ問題はあるにしろ,各種リスクを明解な形で提示する方法を編みだしたのは,興味深い方法である.ただし,著者は「化学者」なので,原発や自動車,航空機あるいはふつうに道を歩いていることの「損失余命」を算出しているわけではない.科学読み物ではあるが,「不安の海の羅針盤」は言い過ぎ.我々は化学物質だけで生きているわけではないのだから.

「損失余命」という単純化も(この本を読んだお陰だが)危険性が理解できる.
“科学者”は数限りない間違いを繰り返しているのだ.著者があるいは著者の弟子たちが計算した「損失余命」も間違いがあるかも知れない.この本の著者は,それまで常識だったたくさんの「先輩たちの間違い」を指摘しているのだ.

もう一ついえば,たとえ1/100万の確率で,国家レベルでは受容しなければならないリスクだとしても,個人的には,それが1/1千万だとしても,未来があるのにボロボロの脳ミソになって死ぬのはいやだ.私は数値ではなく,生きている一人の人間だから.

とまあ,いろいろ問題はあるけれども,この「リスク学」という考え方は面白い.
これをきっかけに,もう少し「リスク学」を勉強してみよう.
そういえば,アスベストはリスクランキングには入っていなかったなあ.(実質)無害?
サブタイトルにも「羅針盤」とあるのですね。
とかく水掛け論に陥りがちな「環境問題」。著者は化学物質の危険性について研究・発言を続けてきて、「リスク評価」という本書で示される方法に到達しておられます。まだまだ問題含みではありながら、方法論としてはかなりフェアなものになりうるのではと感じました。
 専門家向けのがちな本ではありませんので、門外漢の方も「ちょっと勉強」くらいの気持ちで手にとって見てはいかがでしょう?。各論の結論はともかく(個人的にはおおむね同意できるものになってます)、「どうしたらいいの?」について考えを深められること請け合いです。
一般に、環境問題を語る際には主に(1)「(事実に基づいた)数字(統計)」により語る(2)「現場(の人と物)」に関する知識により語る(3)「形容詞」に基づいて語る、という3つのタイプがあると思います。

そして、現在日本で流通している環境問題に対する語りの多くは実は本質的に「形容詞」に基づいているのではないかと私は思っています。例えば、本屋においてある「環境本」には「優しい」「美しい」「恐ろしい」「危機」等の形容詞が踊り、さらに「事態とは関係ない数値」「極端な事例の一般化」「日常感覚の拡大解釈」などの禁じ手が形容動詞的に使われ「比類なく恐ろしい環境危機からかけがえのない美しい地球を守るために地球に優しく」なることがしばしば推奨されていたりします。

「比類なく恐ろしい環境危機からかけがえのない美しい地球を守るために地球に優しく」と唱えることは気分が良く、正義と言えますし、形容詞や形容動詞は論破されることがないですから、身も安全です。

しかし(例えば)「美しい国」と唱えれば自動的に美しい国が達成されるわけではなく、その達成を実効的な形で追い求めるためにはその「形容詞が意味するところの内実」を「数字」や「現場」に落とし込んでいかなければなりません。

そして、本書(の前半)は、中西準子が「数字」と「現場」に立脚し環境問題に対して切り込んできた人生の一代記なのです。

中西準子は「地球に優しく」などとは決して言いません。「形容詞」ではなく「現場」と「数字」の威力をもって圧倒的不利な状況を次々にひっくり返していきます。その姿は、女性が圧倒的マイノリティであった医学と政治の世界において「現場」と「統計」を武器に切り込んでいったナイチンゲールを彷彿とさせます(ちなみにナイチンゲールも(看護に「感傷的イメージ」を一切持ち込まない)徹底したリアリストかつ一流の統計学者だったのです)。

本書の後半は「数字」に基づいたリスク学の考え方が理解できるお勧めの内容です。「耳に心地よい形容詞」は存在しないため、嫌悪感を感じる読者もいるかもしれませんが、少なくともリスクを数値的に定量化することの功罪について自分なり思考を巡らせてみる良いきっかけになるのではないかと思います。
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