斜陽―まんがで読破 (まんがで読破) |
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失礼な話、画力は評価します。しかし、どうもストーリーが把握しにくい。これは原作そのものに問題があるのかもしれません。さらに言及すれば、原作者の個性に問題があるのかもしれません。 そこで、興味深い点として考えるとすれば、まず戦後の金融封鎖などの時代背景は、現代の経済情勢に近いものであること。政府の政策に人が翻弄されること。それにともない、人の気分や文芸も政治経済に翻弄されることがわかります。 本作品は当時の生きていた人の感覚があります。 それは「明治のなごり」を持っています。すなわちそれは華族と庶民など「差別やプライドとの闘い」など負の感情が「明治のなごり」という意味ですが、それがにじみ出てくるように読めました。 この作品つまり「斜陽」と同時代の背景をもっている坂口安吾の「堕落論」を比較すると、坂口安吾のほうがより現代の感覚に近く、「差別やプライドとの闘い」はほとんど見えてきません。「堕落論」からは戦争批判があった上で政治批判があり、新幹線や掃除機や洗濯機など生活が変化する兆しを感じるほど新鮮で、未来を向いているように感じましたが、太宰は過去にとらわれて、「どうしたらいいのかわからない」と言っているように感じました。 感覚としてですが、坂口安吾のほうが時代の移り変わりの線に沿っていて学問的であり、太宰のほうが時代の線から見ますと負の垂線を持っていて文学的には高いレベルに達していると思います。しかし、個人的にはもちろんこの作品に横たわる人間精神の普遍性はわかりつつも、現代に生きる自分にはあまり実感のない作品であり、非常に時代が近い作品でありながら、とおい昔の「物語」の世界だと思えました。 そうですね。負の垂線を持っているものを文学とするならば、現代の文学はもっと悪趣味で下劣なものになるのではないだろうかと感じました。もちろん、その反転もあると思います。 さらに賞賛として評価するとすれば中国やアメリカではこうした作品はできないと思います。まずは日本的な作品であることでしょうか。 マンガにされているので、わかりやすい。 しかし、結局なにが言いたいのか何度も読み直さないと分かりにくい。 太宰治が裕福な家庭で育ったのは知っていた。 この作品は、自分と第二次世界大戦以後の貴族(華族)の没落と自分を重ね合わせている。 読み終わるとなぜか心にモヤモヤが残る。 マンガでも太宰文学の雰囲気は十分に出ている。 斜陽―まんがで読破 (まんがで読破)を楽天で検索 |