国家と人生―寛容と多元主義が世界を変える |
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対談本というと概して ・中途半端 ・説明不足で欲求不満 ・対談者のレベルが合っていない などの不満があった。 しかし、本書は別格である。「もっとそこを聞きたい!」というところはあるが、 それは「おもしろい話だ。もっと知りたい」という前向きなエネルギーからくるもの なのだ。異才・佐藤優氏の知識量を、知の巨人・竹村健一氏がうまく引き出しており、 両者とも(ものすごく高いという意味で)レベルがかみ合っている。 タイトルの副題どおり、後半は日本の神道などが伝統的にもっていた寛容さ、多元主 義に焦点がいく。北畠親房の『神皇正統記』の例を佐藤氏は引く。 佐藤氏は皇統維持の観点から憲法護持を訴える。「交戦権を認め、天皇を元首とした ら戦争に負けた場合どうするのか。陛下の責任が問われる可能性が高い」と。 個人的に今の憲法を維持するのには抵抗感がある。しかし、佐藤氏の視点は新鮮である し、「今の政府に改憲させたら今よりもっと悪い憲法ができる」という意見には賛成だ。 寛容さとして「いい(よい)加減、曖昧さのすすめ」を両者が挙げているのには共感し た。保守こそ真の優しさが必要だ。 佐藤さんが高校時代聞いていた竹村さんのラジオ番組の想い出話などから国家論に発展する。竹村さんの別荘に佐藤さんご夫妻が訪問しての対談をまとめている。 個人的には竹村さんの著作(原子力発電施設で事故など起こらないという主張、その後臨界事故)や外務省職員の著作での帯へのコメント(女ひとり家四軒持つ中毒記 )で竹村氏は好きではない。 本書では佐藤さんのかなり個人的な背景なども吐露しながら話しが進む。 母方が沖縄の島のご出身であることからその戦争体験を身近に感じておられれて、琉球民族の魂の鎮魂をも考えつつ沖縄、北海道独立をほのめかす。 また神学者としての背景と外交を通しての宗教論を織り交ぜた神道世界遺産論も面白い。 また日本にキリスト教が広がらなかった理由を、優秀な宣教師を送らなかった(神道や儒教が根付いていたから)考察している。これは内山節さんの考えとは異なっていて面白い。すなわち中国や韓国は儒教で合理と言う思想があったのでキリスト教が入り安かった。しかし日本は森羅万象であり自然信仰があり儒教は支配者側の論理であったからだと言う説明となる。 読書に関して、知識は熟読においてのみ身に付く、速読はあくまでも知識の確認に過ぎないと指摘する。 また、これまでの主張の通り、権威と権力が明確に分かれていることで日本が発展してきたと指摘する(天皇制と政治の分離)。そして安易な憲法改正は国家体制を危うくすると。(竹村氏は改憲支持) 日本にリセットが起こらないのは(中国とは違い)、天皇家の伝統が連綿と続いていて、逆説的にいえば、自虐史観が出現するのは日本が神の国だからです(この場合の神の国の意味は天皇と自然の神の両方を含むと思われる)、皇統が続いている国だから、過去に対して永遠に責任を持たなければいけないという刷り込みがもたらされる。それは日本人だからなのです。革命が起こる国では、ああした発想は生まれません。p277 最近知った佐藤優という方の本は最近出るたびに買って読んでしまう一方、昔から知っていた竹村健一という方の本は読んだ事は無い。従い 僕としては 本書を読んだ最大の収穫は 実は竹村健一という方を初めて読んだという点かと思う。 佐藤という稀代の論客は 「同志社神学科卒業で 外務省にノンキャリア入省し 瓦解時のソ連で活躍し 北方領土関係で失脚して500余日を拘置所で読書に明け暮れ 出獄後は時代の寵児となる」という 極めてユニークな経歴で いまや知らない人はいないと思う。 僕も この佐藤という方の幾つかの著書には大変啓発され 今まで手に取らなかった宗教関係の本や 政治学に興味が格段に増えた。また 何より新聞をきちんと読む習慣が出来た。40歳を超えて いまさら新聞を読むというのも恥ずかしい話だが 一方廻りの人も新聞を読んでいないことも見えてきた。 そんな佐藤に 堂々と応じている竹村は流石に「老大家」の趣に満ちている。佐藤の意見に堂々と反論し 反対意見を述べている場面は 佐藤の他の対談集には見られないものがある。大概の佐藤の対談集は 対談相手が佐藤の圧倒的な博識に 煙に巻かれているかのような雰囲気もあるが 竹村は その点ではきちんとしている。年齢差を越えて 佐藤に謙虚に質問し 佐藤の論に聞き入っている雰囲気が伝わってきて それはそれで爽快感があった。 専門とする分野を超えて、専門家、あるいはプロフェッショナルとはどういうものか、を痛感させてくれます。いくつか抜粋します。 「(竹村)マスコミも、一所懸命にやっている場面は取り上げない。犯罪を起こした人間とか、一風変わった人しか取り上げない。(佐藤)それは公平ではありません。竹村さんがよくご存じのように大多数の外務省員は一所懸命仕事をしています。最近、国家公務員の天下りが問題になっていますが、内容をよく吟味しないまま、「けしからん」という風潮になっている。これはマスコミの影響が大です(P.83)」…日本のマスコミは99対1の意見を1:1で伝えることすらあります。正確な重み付けが専門家の腕です。 「(佐藤)ロシア人の気質は、毎日コツコツと努力することが嫌いです。毎日一キロづつ煉瓦を積み上げろといったら、一〇日あたりで嫌気がさしてしまう。ところが一年の終わりごろになると、「仕方ない、ではやるか」と、一〇〇キロ分の煉瓦を四つほどいっぺんに積み上げてしまいます。毎日コツコツ、年間で三六五キロの煉瓦を積み上げる日本人を凌駕してしまうんです。勤勉ではないが力量と決戦思想はある(P.177)」…基本的な理解が分析の土台とした重要ということだと思います。 ソ連や北朝鮮の特権階級の人間の意識を指して、「(竹村)北朝鮮のようなところに住んでいると、靴も履かずに歩く子供を同じ人間だと思えなくなってしまうかもしれない。怖いことですね(中略)。(佐藤)人間の文化とは恐ろしいもので、たった二〇年か三〇年、徹底した教育をすれば、たちまち、そういう感覚になってしまうのです。(竹村)異国人ならまだしも、同じ国の同じ民族でも、そうなってしまう恐ろしさがあります(P.193)」…全く異なる感覚の人間と付き合いながらも自分の価値基準を揺るがせない強固さ、あるいはバランス感覚が重要なのかな、と気付きました。 沖縄のことなどはあまり他では書いていないので、興味深く読みました。 多神教を認める一神教徒というのが私にはついていけないのですが、方便としてのクリスチャンなんでしょうか。信仰も個人的なことだったらしょうがないからいいですけど、その辺の使い分けが少しずるい気がします。 国家と人生―寛容と多元主義が世界を変えるを楽天で検索 |