苦海浄土〈第2部〉神々の村 |
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一人しかレビューを書かないのはありえないだろう。レビューは口頭伝承であり、特に良書 についてはなるべく書くべきではないだろうか。 石牟礼の水俣への距離感が1作とは異なり、より深いものとなっている。ついに彼女は、 水俣なるものへの没入をする。この本は優れて文学的であるものであり、読み手もまた没入 することなしには本書のメッセージを聞き取ることはできない。ルポルタージュではないか という意見もあるが、そうでないことは良く読めばわかる。彼女は、彼女に少しでも心を 開いた者が、言葉にしてはいないが語ろうとしていると感じたことを文章化している。即ち、 昇華しているのである。ただし、石牟礼は文学者としてそう優れた書き手ではない。文章も 上手くはない。そのぶん逆に、一見読みやすい。水俣が石牟礼を捉え、離さなくなっていった。 まさしく捉えられたものにしかかけない作品を、石牟礼は創り出したのである。読み、理解 すべき本である。 それから、出版社は、さっさと第三部を単行本化せよ。それは、情報を提供すべき出版社 の義務である。 1969年から70年にかけて、患者互助会が一任派と訴訟派に分裂し、水俣病裁判が始まり、チッソの株主総会に、菅笠と白装束姿の水俣病巡礼団が参加するところまでが舞台。しかし、ここで描かれているのは、チッソや国の責任逃れや、訴訟推進派による患者組織の分裂の苦悩といった世俗的な次元をはるかに超えた、魂の救済、神々の創造の物語である。 なかでも、母の背に負われた死を目前にした胎児性患者の子供が、「ががしゃん、ががしゃん、しゃくら、しゃくらの、花の」と、桜吹雪を母に示してあげるところは、これこそがまさしくものの哀れを感ずる心だと、涙を誘う。 体も自由に動かせず、言葉を話すことも聞くことも不自由な胎児性水俣病患者たちが、桜の花に対して示す純粋な感覚こそ、今、環境危機の時代に、格差社会の時代に、引きこもりの時代に、私たちがもっとも必要としている感覚なのではないだろうか。 苦海浄土〈第2部〉神々の村を楽天で検索 |