ベートーヴェン:悲愴・月光・熱情 |
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曲目リスト
グールドのピアノ演奏には聴き手を惹きつける魔法のような力がある。たいていの曲は1、2回程聴きくと飽きてくるのだが彼の演奏は何度聴いても飽きない。むしろ聴き続ける事によってより音が新鮮に聴こえてくるのだ。彼のベートーヴェンはそう感じさせる仕上がりになっている。 特にクラシックに詳しいわけでもなく、 「悲愴」が1枚欲しくてグールドを選んだのですが、 これまで聞いたイメージとちょっと違うな、という感じ。 基があまりにも美しい旋律なので、 今までとは違うけれども、まあこれもありかな、という感想。 「月光」はまあまあ?、 「熱情」は途中から飽きました(長すぎ)。 こんなことでこれらの曲を嫌いになっちゃ、 ベートーヴェンに申し訳ないと思い、 結局別のアーチストの3大ソナタ集を買いました(笑) グールドのベートーヴェンについて賛否両論あると思いますが、私は正直言って好きになれませんでした。他のピアニストによる演奏を聴いているので、その先入観みたいなものがあったのかもしれませんが、あまりにも異端すぎます。ジャズじゃないんですから。 結局のところ、音楽の評価は人それぞれなので好き嫌いを言うのは自由だと思います。ですので、お勧めはしませんが一度こういうクラシックもあるのだ、ということを知ることができる貴重な1枚だと思います。 本作は、モーツァルトを「長く生きすぎた」と断言し、ベートーヴェンも「その作品の多くを評価できない」とのたまうグールドのグールドらしい作品です。 そんなグールドですが、他者と一線を画す技術、構築力を有していることは言うまでもなく、だからこそ本作は価値が高いと言えるでしょう。 つまり、他のヴィルトオーソは皆作曲家を崇拝し、伝統的にベートーヴェン作品に求められる主観的な感情表現を表にしまっている中、技術的には(相対評価だが)20世紀最高レベルのピアニスト・グールドが、この様に作品を自立的な運動体として構築しなおしたことは、音楽史上にとって貴重な経験であるということです。 上のような理屈を抜きにしても、実際楽しめます。驚きます。 怒りを通り越して、呆れてしまう録音です。ベートーヴェンに対する冒涜と受け取られても文句が言えないような録音です。かの天才ピアニストのクララ・シューマンが言った「作曲家への崇敬の無い演奏家など、偉大ではありえません。」という言葉が思い出されます。無駄に曲を歪めて演奏するのが前衛的な演奏だと思わないで頂きたい。こんな録音を誉めているのは一部のグールドファンだけであって、他の大勢の音楽愛好家は眉を顰めているのです。 「悲愴」というタイトルとはうらはらな乾いた感性が、グールドの持ち出してきたこの曲の解釈の核だ。冒頭に出てくるいくつかの和音からして、強調された低音の上に薄い音の層が乗っているような響き。どろどろとしたベートーヴェンが好きな人向きの演奏でないことはすでに明らかだ。そうした人々は、鼻にかかった甲高い声を連想させる軽めの音色にも不満を感じることだろう。しかし、おおげさでない演奏を求めるリスナーにとってみれば、この音色こそが好ましく感じられる。彼らなら、キリリと冷えた白ワイン、それも少しスモーキーで石の香りが混じった辛口タイプに似ているとでも言うだろう。 「月光」もまたドライな演奏である。第2楽章でのはねるようなリズム表現、大胆なテンポの動かし方などが興味深い。身軽で自由なベートーヴェンだ。以上2曲は、暗い部屋の中にいたベートーヴェンの曲を明るいところへ連れ出し、少しばかり運動をさせて健康増進のお手伝いをしてあげたような演奏といえるだろう。 しかし、最後の「熱情」だけは話が違う。ただでさえ想像力が豊か過ぎる人間に不安の種をこれでもかと吹き込み、憂鬱の極みに追い込んでしまったような演奏だ。まずは第1楽章の異常に遅いテンポ。重い足かせを引きずり、真っ暗闇の中を意味もなく歩き回っているといった風情だ。その抑圧的な気分は曲を通して続く。ちょっとグロテスクでもあるが、その分、前2曲の軽やかさが引き立ち、アルバムの構成上、おもしろい効果を上げている。(松本泰樹) ベートーヴェン:悲愴・月光・熱情を楽天で検索 |