ヴィレッジ [DVD] |
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映画の予告編をみるとホラー映画そのものですが、実は人間の内面を描いたもの。 同じシャマラン監督の「シックス・センス」も似たところがありますが、あちらは「超自然的なもの」が使われています。こちらは「本当にあるかもしれない」。 色の使い方が非常にうまい。なぜ、「赤」は忌まわしい色なのか。映画の後半の「年長者」のひとりが「箱を開ける」ところで、「赤」の意味がわかります。余談ですが、勘のいい人は、箱に入った1枚の「絵」に描かれた「看板の文字」と右端に見える「ある物体」から、「村の秘密」が全てわかるでしょう。 盲目の少女は、恋人には「色があるからわかる」と言います。しかし、彼女は「ある人」とはよく話すのに、その人の「色」はわからない。 ここで「色をどう解釈する」かで、映画の見方がかわります。もし、「色」が愛する人の醸しだすものの象徴なら、この映画は「ラブストーリー」です。 もし、盲目の少女が「ある人」の「色」がわからない理由が、「ある人」が「無色透明=無垢」だからとすると、この映画は「汚れを知らぬことは本当によいことか」を観客に問いかけているのでしょう。 「無垢」は「無知」にも通じます。ラストで「村の年長者たち」は、「自分の子供たちには真実を教えない=無知の放置を承知のうえで村の現状を維持する」道を選びました。 本当にそれでいいのか! 映画としては「このやり方」は正解です。 では「現実の話」なら。私は反対ですが、おそらく賛成する人も少なくないと思います。 シャマランの映画だから、当然「おち」はあります。 ただ、「伏線」も「おち」もそれほど斬新なものではありません。ジャンルはホラーになるのでしょうが、いわゆる「背筋が凍りつくような恐怖感」は感じないと思います。 映画の構成としては「三段おち」になっています。 一見平和な十九世紀の村。村民は「街」を忌まわしいものとして、小さな村で自給自足の生活をしています。村を囲む森には「化け物」がおり、村民は森に入ることを許されていません。ところが、ある事故で若者が瀕死の重傷を負ったことで、婚約者のヒロイン(目が見えない)は禁断の森を超え、「街」に行って「薬」を手に入れることになります。 父親は娘に「化け物」に関する「ある重要な情報」を与えます。これが最初のおち。 禁断の森でヒロインは「化け物」に襲われます。ヒロインは目が見えませんから、「化け物」の発する音でしか、その動きを察することができない。こういうところの演出は見事です。 そのころ村では、長老たちが「娘を森に入れた」ことで父親を責めます。この後、禁断の箱が開けられます。ここが二番目のおち。 化け物をやっつけてやっとのことで「街」に出たヒロインは、親切な若者から「薬」を受け取ります。ヒロインは目が見えませんから、「若者の声」を通して「街」の様子を知るしかありません。ここで観客は「驚愕の真実=三番目のおち」を知ることになります。 ヒロインを演じるブライス・ダラス・ハワードの演技は「すばらしい」の一語に尽きます。知恵遅れの若者を演じるエイドリアン・ブロディの「怪演ぶり」も見事です。シガニー・ウィーバーもいい味を出していますね。 「おち」がわかっても、もう一度見直したくなる映画です。 この映画を観て、「里山の再生」という現代では難事業になりつつある農村問題を思い出した。 山村の農家では野生動物の田畑への侵入による食害が問題になっている。 バブル当時の開発の為の大規模な森林伐採などで野生動物の住処が脅かされているなどの意見を聞くが、実は山村における里山の保全がまったくできておらず荒れ地と化していることもこの問題の大きな要因のひとつなのだ。 里山とは山付けにある田畑と雑木林から山林へ繋がるまでの間にできた、この映画で言うところの境界区域みたいなものだ。この境界区域は自然にできたものではなく、人間が薪を取りそれを使う生活により民家周辺の木が(山裾の木から)切られ始め、下草刈りを含め自然の間伐がなされてきたいわば草原のような状態の土地のことを言う。この里山により身を隠す物がない広い土地(草原)が広がり動物たちが田畑などへ近寄り難くしてきていたのだ。 この草原(と敢えて便宜的にそう呼ぶが、表現は誤っているかもしれない)があることで人間が住まう農村と野生動物が住む山林お互いの領域を侵すことなくが区別されてきたのだ。 この映画とは関係のないような話だが、実はストーリーの中にもこのような会話がされる場面がある。 これ以上はネタバレになるので、あとは観てのお楽しみ。 山村の農家の里山問題(野生動物による食害)の一部でも感じてもらえたら日本の農業政策ももっとよい方向へ向くのでは・・・それはムリか。 ネタバレになっているかも知れませんので、未見の方は飛ばして下さい。 途中からかなり大きくストーリーが転回します。 いや、物語自体が大きく変わるといったものではなく、 こちら側の見方が変わる、とでも言いましょうか。 観客はまず、村の住人達の目線でストーリーを追っていくことになります。 そして住人達同様、見ているこちら側も騙されていたことが分かる仕組みです。 そこから特典映像でシャマランが語っているように、ラブストーリーに変化します。 「怪物」絡みの演出は本当に怖いです。 シャマランは音を効果的に使いますね。効果音や音楽を。 それから今作はカメラワークが秀逸だと思います。 薄暗い部屋の中を、目の見えない彼女が青年を探し、名を呼びながら歩む。 バックに流れる音楽は不安を煽り大きくなりますが、突然止む。 同時に、青年を探していた彼女の動きが何かにつまずいてピタリと止まる。 彼女の表情から、足元に青年が転がっているのだと瞬時に理解出来る。 青年の頭を抱き抱えるように持ち上げて泣く彼女、カメラは青年の頭頂部から撮っています。 その彼女の後ろに開け放たれた扉が映っていて、 そこから村人が青年と彼女を目撃し、仲間を呼びに。 この一連のシーンが唯のワンカットで撮られている。 部屋の薄暗さが不安を煽り、開け放たれた扉は、 そこだけ何か切り取られたかのようにポッカリと白い。 その白い四角から部屋の内部を目撃する村人が影絵のように動く。 低い位置からのカメラアングルからは、 青年の顔は見えず、彼女の悲痛な表情が逆光によって微かに写っている。 この映画はとても美しく切ない・・・ 尚、今作では、障害を持った人が哀しい犯罪を犯してしまいますが、 障害を持った人がこのような犯罪を犯すことは、健常者の人と比べて極めて低いとのことです。 最初はシンプルなホラー映画かと思いましたが、 違いますね。閉鎖された村の怖さ、困難を克服しようという勇気、 謎の怪物など、様々な要素が合わさった映画でした。 特に、この独特の世界観が好きです。 超常現象(らしきものも含め)を題材にしたセンセーショナルな作品を作り続け、つねに賛否両論を起こしてきたM.ナイト・シャマラン監督。本作では、「周囲の森に入ってはいけない=外の世界を知ってはいけない」などの掟を守り、隔離された生活を続ける村人たちのミステリーに挑む。好奇心旺盛な青年ルシアスが森に足を踏み入れると決意したとき、森の中の「何か」が村人に恐ろしい警告を発し始めるが…。 19世紀の、のどかな村。警告の鐘、忌まわしいとされる赤という色。映画の冒頭から、物語の「秘密」への伏線らしき要素が次々と提示される。恐ろしい何かが“出そうで出ない”雰囲気で緊張感がじわじわと高まり、「何か」の正体が分かった瞬間、素直に驚くか、あるいはがっかりするかで、本作の好き嫌いが決まるかもしれない。ただシャマランの前3作とは違って、その後も複雑な展開が続き、愛のドラマに焦点を当てたのが本作の特色。俳優たちも上質な演技を見せるが、シャマラン作品の常として、ポイントとなる場面での過剰な演出が空回りしているのも事実だ。その“過剰さ”もシャマランの魅力ではあるのだが…。(斉藤博昭) ヴィレッジ [DVD]を楽天で検索 |